時間指定のチケットが無事取れたので、フェルメール展とルーベンス展をハシゴしてきました。
フェルメール展は「上野の森美術館」、ルーベンス展は「国立西洋美術館」です。
どちらも上野の公園内、距離も徒歩にして3分ほどと、ハシゴにはうってつけ。
……同じく上野の「東京都美術館」のムンク展ともちょっと悩んだのですが、ムンクは一人、時代も国もだいぶ違うし、混雑もすごいと聞いていたので、またいつか、です。
*
さて、彼らは時代の近い、共に「フランドル絵画」の枠に収まるだろう画家だと思うのですが、ハシゴして近い時間のうちにじっくり現物を見比べた結果、ぜんっぜん違うな、ということがよく分かりました。
もうね、人物の厚みが、全然違う。
筋肉量どころか肌――いや、肉の色が全く異なって、ルーベンスの女性/男性どちらもお肌に触れたらサラッとしてそうなんですが、フェルメールは汗でじっとりして、寒いところに出ていったら肉体から湯気が出そうな感じです。
派手な教会や宮殿にはピッタリ、という感じで、ちょっと、ミケランジェロみたい。
……と思っていたら、ルーベンスはルネッサンス期やローマ時代の彫刻を、若い頃どっぷり研究して、イタリアに滞在していたこともあるんですって。納得です。
一方のフェルメールは、肉体からは迸るような熱は感じません。
絵の中の空気はとても静かで、人物からは感情だけが立ち昇ってくるかのようです。
小さな礼拝堂や静かな寝室などで、じっくりと向き合いたい雰囲気です。
どちらが良いとは言えないけれど、どちらが好きかと言われたら、フェルメールの方かなぁ。
*
とはいえこの違いは、もちろん彼らの趣向もあるのでしょうが、彼らの人生や、生きた時代の影響が大きいのかなあ、と思いました。
ルーベンスの頃のフランドルはかなりの好景気だったらしく、イタリアでは宮廷画家になり、外交官も努めていました。
更に彼は当時人気の画家で、何十人もの弟子志願者が工房に押し寄せたそう。
下書きのあとは弟子に描かせて仕上げだけ自分で行うという手法で、大量の作品を残しています。
62で亡くなっていますが、なくなる直前まで、大作も描いていますしね。
しかし少し時代が下ったフェルメールの頃になると、戦争の影響などもあって、徐々に需要が縮小。
フェルメールも、全盛期は高い評価を得て、資産家のパトロンを持ち、羽振りも良かったようなのですが、晩年は多額の負債を抱えていたといいます。
負債はどうにもできず、ついには50前になくなってしまい、そのせいか、残された作品も30点ちょっとしかないのです。なんだか寂しいですね。
二人は確かに近い時代を生きているのですが、「ルーベンスが先の時代」で「フェルメールがあとの時代」、その人生が被ったのは、4年くらいだったそうな。
つまり、ルーベンスが最晩年の大作を書いていたころ、フェルメールは物心つくかどうかくらいの幼児だったようで。
フェルメールの頃には、ルーベンスの頃の『華やかで派手な絵画の時代』は『一昔前の黄金時代』だったのかもしれません。
……ちなみに当時のアントワープの成人は、25歳だったのですって!