藍の夜には何もない。
ただただ夜気が膨れ上がり、そして収縮する気配があって、それを誤魔化すかのように、天井で星屑が砂塵のように瞬いている。それだけだ。
視界は青い。そして暗い。視覚より聴覚が際立つ闇の中、かすかな人の呼吸があたしの耳を侵すすべてで、あたしは己の呼吸を止めて、音に聞き入っている。
白い月光にぼんやり浮かんだ音の主は、その綺麗な顔を空に向けて、1ミリのゆがみもなく瞳を閉じていた。わずかな隙間からさえも、その眼球は見えない。
そっと、指を伸ばしてみる。「彼」はぴくりとも動かない。
豊かな髪に触れてみる。身じろぎひとつしない。
そっと、胸の上で組まれた手の甲に指先をあててみた。反応なし。
まるで蝋人形か、生を終えた体のよう。けれども規則正しく動く胸とかすかな吐息、指にやんわりと伝わる体温は、彼の命を証していた。
あたしはまた、そっと指を滑らせる。頬に触れてみようかと試みて……やめた。
かなしくなったのだ。
目覚めているときはポケモン以外の生き物――人を、おのれに近付けようとはしないのに。
(ねえ N)
眠りは死の相似だと言ったのは、確かフロイトだっただろうか。あたしはフロイトに興味も関心もなかったけれど、その言葉だけは妙に覚えている。
(Nったら)
あたしは彼を、どうしても起こしたくなった。朝が来ればいつものように、あたしに少しだけ距離をおいて、わけのわからない式と理論を並べ、微笑むのだと知っているのに。それでも、どうしても。
(おきて、おきてよ)
のど元までせりあがる声を押しこめ、肩を揺らしたがる指を押さえつけ。あたしは唇を噛んで、彼の隣に滑り込む。
(おいてかないで)
感傷がひとつぶ、水滴を落とす。
そのとき初めて、彼はほんの少しだけ身じろいだ。
黎明は、まだ遠い。