「……まいったね、こりゃ」
「めが……」
そうだね、と言いたげに、チコさん――メガニウムのおとこのこ――はガラス窓に鼻を擦りつけた。
わたしも思わずため息をつく。するとガラス窓は真っ白に曇って、わたしの視界を一段と霞ませた。
目が覚めたら、外は、それはもう見事な吹雪だった。
吹き荒れる風に驚いて張り付いた、ガラスの向こうは真っ白に飛んでいて、世界の全てどころか、目の前の全てが白一色。
あまりにもただただ真っ白なものだから、空から落ちてくる雪の礫をじっと見つめていると、くらくらと目眩がしてくる。
まさか3月のカントーで、こんな大雪が降るだなんて。ああ、昨日の夜は、うっすらと雪が積もっている程度だったのに、なんてこった、だ。
「お天気予報、見てなかったなぁ……」
わたしは困った顔をするチコさんの、すべらかな頭をぺたぺたとなでて、窓際のソファに腰を下ろした。
ここは、おつきみやまの前にあるポケモンセンター。たくさんのトレーナーが行き交う、ニビシティとハナダシティの間にある。
いつも賑わっている場所なのだけれども、雪のせいか、今日はトレーナーの数が少ない。ちらりほらり、片手で数えられてしまうほどの人が、ロビーで立ち往生している、それだけだ。
もちろん、人っ子一人いないシロガネやまのポケモンセンターよりは全然にぎやかだけれど、ピッピの踊りを眺める人の多い月曜日の夜や、お月見シーズンの繁盛ぶりを知っているだけに、なんだか寂しくなってしまう。
はあ、無意識に漏れてしまったため息を、頭を振って引っ込める。
そう、たまにはそんな日だってある。自然は脅威だ。馬鹿にしちゃあいけないのだ。
「雪だとチコさん、連れて歩けないもんね」
「めがにゅ……」
「あ、いや、気にしなくていいよ。こんな大雪じゃ、わたしだって出られないもん」
「そうね、今はやめておいた方がいいと思うわ。この吹雪じゃ、『そらをとぶ』も危ないから」
ふと掛けられた声に振り返ると、ジョーイさんがラッキーと共に、こちらを向いて微笑んでいた。
「野宿してなくて良かったわね」
お母さんみたいな優しい笑顔に、なんだかちょっぴりほっとする。
「そしたら今頃、冷凍メガニウムになってたかも」
「めが……っ?!」
「いやいや、冗談だよチコさん。そういう時はちゃんとボールに戻すから」
「がにゅ……」
あからさまにほっとした顔つきのチコさんに、ジョーイさんは声を上げて笑った。ラッキーも楽しげに、ぴょんぴょん跳ねて、くるりくるりと回っている。
チコさんは照れたようにそっぽを向いて、触覚をふよふよと動かした。ああもうかわいいなあ、チコさんったら!
「コトネちゃんは、ワカバ出身だって言ってたかしら?」
「はい。ワカバってあんまり雪がふらないから、びっくりしました」
「そうね、わたしも派遣されてきたばかりの年の冬に、驚いたわ。遭難する人もいるんですって……冗談抜きに、よ」
「えええ……」
「そういう人は、亡くなった後、ユキノオーになって、こういう吹雪の日におつきみやまをさまようんだとか……」
「え、え、じょ、冗談ですよね? それは冗談ですよね?!」
「どうかしら……例えばほら、こういうお天気の日に……」
ゴッ。
うふふ、とジョーイさんが笑った途端だった。
ひゅおおおおおお、突然、突風が吹き抜ける音がして、次の瞬間、凄まじい冷気がロビーに吹き込んできたのだ。
「……え?」
さすがのジョーイさんも、ちょっと青ざめている。
いやまさかそんなバカな。思わずチコさんにしがみついたわたしは恐る恐る、冷気の元を視線で辿った。
音もなく開いた、正面の扉、真っ白な視界にぬっと立った黒い影……
「ひゃあああああ?!」
「な、なんだうるさいな……」
ユキノオーがしゃべった!?
……とパニックを起こしかけたわたしの視界に、ちらちら映り込むのは白と赤と揺れる炎だった。
何が起きたのか分からないわたしの隣から、チコさんがてとてと走り出す。
「がにゅ!」
「がう……」
「おいお前、花びら燃えんぞ」
聞き覚えのある声、そう。これは確か、凛々しい炎ポケモンとそのマスターの……
わたしは慌ててチコさんの隣に駆け寄る。
センター入口のマットの上で、自分とポケモンの背中をばたばたとはたいている、赤い頭。
見覚えがあるどころじゃない姿、わたしのライバルの少年が、ほっぺも鼻の頭も真っ赤にして、そこに立っていた。
「シルバーくん?!」
「……あ? ああ、なんだコトネか。どおりでメガニウムが」
「なんだってなによう」
「触んな」
わたしは思わず、雪まみれのシルバーくんを突っついた。
途端、ばしっと手をはねのけられる。
わずかに触れた指先から伝わってくるのは、氷のような冷たさだった。
「うわ冷たっ!!」
「だから触んなって言ってんだろ……」
「どうしたの君?! こんな吹雪の日に!」
カウンターの向こうから、バスタオルを抱えたジョーイさんが飛び出してきた。
フェイスタオルを抱えたラッキーがあとを追ってきて、ひとりと一匹は大慌てで、シルバーくんの頭にタオルをぶちまける。
そのままがっちり確保され、シルバーくんは目を丸くした。
「な……っ」
「あらあらびしょびしょ……」
「……昨日の夜、おつきみやまの洞窟にいて、朝起きたらこんなで」
「寒くて飛び出してきたのね? よかった、迷子にならなくて」
急速に溶けた雪は当然ながら水に変わって、シルバーくんのコートとマフラーを濡らす。
もぞもぞとそれを脱ぎながら、シルバーくんはぼそぼそと、珍しく張りのない声で呟くように応えた。
「……迷子になるような距離じゃない」
「確かにすぐそこね。でも、今日は視界が悪いでしょう? ほんの数メートルで迷って遭難することもあるのよ。――ラッキー、奥からポット持ってきてもらえる?」
「……シャワーを借りたいんですが」
「寒いのは分かるけれど、冷え切っちゃってるから、すぐにお湯に浸かったら駄目よ。しばらく暖房の前に座って、身体を温めてから。そのまま寝ないでね」
「…………はい」
「コトネちゃん、ココアいれてもらってもいいかしら? カウンターの裏に置いてあるの。ラッキーが場所は教えてくれるわ。コトネちゃんの分も、いれていいわよ」
「あ、はい」
ジョーイさんの指示に、シルバーくんとバクフーンをぼんやり眺めていたわたしは動き出す。カウンターの横でラッキーが、ピョコピョコと跳ねているのが見えた。運んできたポットをカウンターに乗せて、ぺたぺたとそこを叩いている。こっちよ、って言いたいみたい。わたしより先に、チコさんがてとてとと動き出す。わたしは急いで後を追った。
カウンターの裏側に入ったわたしの目の前でテキパキと、ジョーイさんはシルバーくんの頭を拭いていく。
男の子にしては長い髪をきゅっきゅっと絞って、青白いほっぺをゴシゴシとこすって、冷え切った手を手のひらで温めて。
大人しく、されるがままのシルバーくんがなんだか不思議で、わたしはココアをかき混ぜながら、思わずじっと見つめてしまった。
「……なんだよ」
「いや別に……」
「あ、動かないで」
「……すみません」
「あとちょっとだから……はい、おしまい」
頭の上からバスタオルを取り除き、ジョーイさんはぽん、とシルバーくんの背中を叩いた。暖房の風にふわふわ揺れる、いつもよりふわっと広がった赤い髪がちょっぴり変な感じだ。
「……………………ありがとうございました」
「どういたしまして」
シルバーくんは促されるままに、壁際のソファに腰をおろす。背中の火を消したバクフーンがよろよろと、その隣に座り込んだ。
なんとなくぎこちない動きのバクフーンを見て、チコさんは心配そうに鼻を鳴らす。氷には強いはずだけど、バトルのあとだったのかもしれないね。
「後はバクフーンに温めてもらって。……あら、この子あんまり元気がないわね。回復しましょうか?」
「お願いします」
「ああ……もしかして、バクフーンが元気がないから、吹雪の中ここまで来たのね? そうね、元気だったら、吹雪くらいなら乗りきれるものね」
優しくなったわね、ジョーイさんはにっこり笑う。
シルバーくんは顔を真赤にしてうつむいてしまった。
……あれ、なんだろ、なんか、むかむかする、んです、けど。
「きゅ、きゅるっ!!」
「めがっ!!」
「? ……おい、コトネ! 危ない……バカ!」
「え? ぎゃあ!!」
ラッキーとチコさんの悲鳴、それからシルバーくんの「バカ!」で我に返る。
妙な胸騒ぎにぼんやりして、マグカップを極限まで傾けてしまっていたことに気がついたけど、後の祭り。
とたんに熱湯が手に掛かって、わたしは悲鳴を上げた。
「あっつー!!!」
「……お前が料理全然駄目だっつー理由が分かった……」
バカだからだな、と呟いて、シルバー君はため息を付く。
わたしはムッとして、シルバーくんを睨み返した。
「バカって何よ!」
「バカにバカって言って何が悪い。やけどはすぐに冷やせよ、痕になるぞ」
「そんなこと言ったってこんなとこに水道なんてないし……」
「ホントバカだな、雪は水が凍ったもんだろ。……ニューラ、雪持ってきてくれ」
「にゅ」
ぽん、と飛び出したニューラが、扉の向こうにかけて行く。
そうか、氷ポケモンだもん、平気だよね。なんて思っていると、本当にバカだなと呟いたシルバーくんの、まだ冷たい指先が、わたしの手の甲に触れた。
「な、なに……?」
「ニューラが戻るまでくらいは足しになんだろ。冷やしたら床、拭けよ」
「………………うん」
あああ、冷えるどころか、あったまってるんですけど! なんて言えなくて。わたしは黙っていることにした。
ごめんねニューラ。悪いんだけど、ちょっぴりゆっくり戻ってきてくれないかなあ……?
(あら? アイスパック探してきたんだけど、要らなかったかしら)
(い、いえっ! く、下さいっ!!)
(何どもってんだ?)