あのねのね、の続き。
*
「それでね、それから」
コトネとシルバーの間には、焼きそばがもられた皿があって、シルバーはその中身、不恰好に切られたキャベツとウィンナーをもさもさと口にしていた。
こんな真夜中に焼そばなんて! とコトネは口を尖らせたのだけれど、シルバーは焼きそばがいいと言ったのだ。
けれどもそれは、料理の苦手なコトネが、短時間で完成させられる数少ないメニューだと見越してのこと。その気遣いが理解できて、そしてちょっぴり嬉しかったから、コトネはブツブツ言いながらも超特急で焼きそばを作って、ビールと一緒に彼に出した。そして、向かいに座ったその後は、ずっとしゃべり通しだ。
初めての人にこんにちはってちゃんと言えたの、この前まで恥ずかしがって隠れてたのに! それからね、髪を切っている間ぐずらなかったの、あそこの美容師さん、子供の髪を切るの上手よ。そのあとGTSに行ったら、受付のお嬢さんが「可愛らしい坊やですね」って面倒見てくれて! すごい助かっちゃった。あとね、火曜日のシチュー、焦げなかったの、大成功だったの! あの子もおいしいって!
「そりゃよかったな」
「あとねえ」
コトネはシルバーの中身のない相槌を気にすることもなく、上機嫌に言葉をどんどんと重ねていく。気のない返事をしながらも、シルバーは言葉を遮る事なく、出されたメニューを平らげる。
「あ! そうそう、それからね! ヒカルが」
そこまで口にして、コトネははたと言葉を切った。
「ヒカルがどうしたんだ?」
「ええと」
真正面から、柔らかい視線。
視線のもとにある、静かで優しい、細められた瞳。
飽きるほど見慣れたはず、の。
それが、コトネをじっと見つめていた。
「ああ、そのね、ヒカルが」
なんだか急に気恥ずかしくなって、コトネは誤魔化すように上を向いた。
思い出している振りをして、視線をそらす。
「うん」
「自分の名前、書けるように、なったのよ!」
そうか、そうつぶやいて、彼は満面の笑みを浮かべた。
「もう、かたっぱしから何にでも名前書いちゃって、大変! 油性ペン隠しておかなきゃ」
「ああ……オレもやったって聞いたことあるな、それは」
「そんなところまで似なくていいのに! あとちょっとであなたの本にまで書いちゃうところだったんだから」
「……貴重書は鍵付きのところに入れとくか」
「そうして。それでね、次はお母さんの名前書くんだ、って頑張ってるみたいなんだけど、『ネ』が難しいみたい。鏡文字になっちゃうの」
「画数多いからな、『ネ』は」
「早くあなたの名前も覚えてくれるといいわね」
「『バ』が『パ』になったりしそうだけどな」
嬉しそうに笑いながら、シルバーはそう言う。
コトネは微笑んで、そうねと同意する。
もう、昔とは違う。そんなに稀少価値の高い笑顔じゃない。
いつも冷たい顔をしていた頃が夢だったんじゃないかと思うくらい、彼は笑うようになった。
笑ってくれるように、なった。
それでも、彼の笑顔を見ると、コトネはわけもなく嬉しくなる。
そうして、しみじみと感じるのだ。
「ねえ」
「なんだ」
「愛してるわ」
ぽろり、落ちた箸に気を良くして、コトネは声を上げて笑った。
そう、もう、恋とは違う。
だけど、わたしはこれを。
愛、って呼ぶことにするわ。