「そしてぼくらはたびにでる」から3年後
*
コトネは毎週金曜日の夕方に、クチバシティのベンチに座っている。
ときどき、どうしても海が見たくなるのだ、と彼女は言う。
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コトネが時々、クチバから海を眺めているのに気がついたのは、カスミだった。
ある時カスミがジョウトに出掛け、アクア号で帰ってきた時に、コトネはタラップのそばでキャモメを眺めていたのだ。
「あら、コトネじゃない」
「カスミさん」
お久しぶりです、と、膝の上にピカチュウを乗せてコトネは笑った。
伸びた髪、綺麗に整えられた指、ほんの少しだけヒールのある靴、始めたばかりの薄化粧。もちろん、トレーナーだから、街をゆく女の子達のようなおしゃれは出来ない。
けれども、やんちゃなお転婆娘だったコトネもすっかり年頃の少女になって、愛らしさより美しさで人目を惹くようになってきた。ショートパンツは相変わらずだが、そこから滲むのはもう、子どもらしい溌剌さではない。
まるで姉にでもなったような気持ちで、カスミは目を細める。
「ピカチュウ? あんたが連れてるなんて珍しいわね」
「ボルテッカー覚えてる子なんですよ」
ぴか、と膝の上のピカチュウは鳴いて、大人しくコトネの腕に収まっている。
ヒビキが卵をくれたんです、そう返事をしながら、コトネは瞳を海へと戻した。つられるように、カスミも視線を移す。
コトネの座るベンチの背に肘をついて、キラキラと輝く海を見つめた。
「誰か待ってるの?」
「いえ、そういうわけでは。――ただ、ちょっと海が見たい気分で」
「海ならジョウトでも見られるじゃない。あんたワカバの出身なんでしょ」
「まあ、わたしの部屋からでも見えないことはないんですけど」
ここがいいんです、とまた笑う。
「ときどき、どうしてもここの海が見たくなるんです」
「まあ、それなりに風情はあると思うけど、そんなに特別な眺めかしらね? 25番道路の高台の方が、眺めいいわよ」
「あそこは絶景ですよねえ」
「うん、最高」
ふと言葉が途切れ、静かな街に穏やかな波の音が響いた。キャモメの鳴き声が微かに、曇り空から聞こえてくる。
雲の切れ間を山に沈む日を受けた海は、金色に輝いて、まるで黄金の絨毯のようだ。
きれい、とコトネは呟いた。
けれど、その目がどうしようもなく、遠くを見ているのにカスミは気がつく。
ゆるり、溶けるように揺れるキャラメル色の瞳は、夕陽なんて見ていないのだ。
(なるほど、ね)
燃え上がるような赤い陽が、静々と海に沈んで冷えてゆく。
目を、心を射抜く、あまりにも眩いスカーレットを見ると、たまらなくなる。その気持ちはカスミにも分かる。
あかのなをもつひと、あかいすがたをもつひと。
彼女は待っているのだ。
ここから旅立ったという、スカーレットが帰るのを。
*
太陽がすこしずつカーマインに代わり、やがてクリムゾンになるころ、カスミはぽつんと呟いた。
「元気かしらね」
弾かれたようにコトネは顔を上げた。
カスミはちらりとだけ目をくれて、すぐに視線を海へと戻す。
「……カスミさん」
「もう、3年だっけ?」
「そうですね」
「一回も連絡ないとか、なに考えてんのかしら」
「さあ……」
「でも、あいつのポケギアに電源が入ってるとこ、見たことないのよね」
「わたしは、ポケギアを持ってるところを見たことがないですよ」
「そもそもね。……ほんっと、コミュニケーション能力が低くて困るわ」
「……思えば、そこのところは微妙なふたりでしたよね」
「…………まったくだわね。よりによっての組み合わせよ、今思えば」
カスミは苦笑して、コトネを見た。コトネもまた、子供らしくない苦笑を浮かべていた。
「いつか帰ってきたら、一発殴ってやろうって思ってるのよ。その時は、あんたも参加しなさい」
「ぜひ呼んでください、飛んでいきます」
顔を見合わせて笑い、ふたりは瞳を海から空に向ける。
ぴか、と膝の上から、小さな鳴き声が上がる。
それに合わせたように、美しい星空をひとすじきらり、小さな星が流れて消えた。