夕星

「……綺麗なバクフーン。あなたの?」

 レッドとシルバーが彼女に出会ったのは、トバリ、というシンオウの大きな街だった。
 ピカチュウと共にクレープを食べるレッドの横、広場でバクフーンを休ませていたシルバーに、通りすがった彼女は少しだけ微笑んでそう言ったのだ。
 黒くつややかな長い髪と、同じ色の長い睫毛。透けるように白い肌に、大きな藍色の瞳。そして、ほっそりとした手足。長じればかくや、という姿の少女の出現に、レッドは目を見開いて、シルバーは首を傾げた。

「バクフーンを知っているのか」
「ええ」
「シンオウにはいないだろ。あんたはシンオウの人間じゃないのか」
「シンオウ育ちだけれど、わたし、ナナカマド博士のお手伝いをしていたから。全国図鑑を持っているの」

 バクフーンは、157番ね。少女は何も見ずにそう呟き、レッドとシルバー、そしてピカチュウは顔を見合わせた。

「あんたは研究者なのか? ナナカマド博士って誰だ」
「……あなたは、どちらから?」
「カントーと、ジョウトだ。どっちが本籍でもない」

 シルバーの生まれはトキワ、カントーだが、トレーナーとして歩み始めたのはジョウトである。それ以来、特にどこかに定住するでもなく旅を日常としてきたから、自分がどこに所属しているのか彼自身にもよく分からない。確固たる足場を持たない自分の不安定さを感じながら、シルバーは答えた。
 少女は得心がいったように頷き、まっすぐにシルバーの瞳を覗く。それから、ならばご存じないかもしれませんねと言葉を添えた。

「ナナカマド博士は、ポケモンの研究をなさっている博士です。シンオウのポケモンに精通していらっしゃいます」
「つまり、カントー・ジョウトでいうところの、オーキド博士とウツギ博士みたいなもんか」
「はい。シンオウではとても高名な方です。わたしの友達が、博士の助手なの」

 少女は微笑んだ。
 ふうん、と気のない返事をするシルバーの背後から声がかかる。

「ぼくは聞いたことがあるよ。オーキド博士の共同研究者のひとりだって」
「ぴかーぴ」
「全国図鑑の開発に携わった人で、オーキド博士の先輩だよ、確か」
「ぴかぴか!」
「そうか」
「興味なさそうだね」
「ぴか?」
「オレは一介のバトルトレーナーであって、研究者じゃない。だから、図鑑だとか生態だとか進化のメカニズムだとかは、どうでもいい。……もちろん、生息地とか進化の条件には興味があるけどな」

 正直な方ですね、と少女は小さく笑った。
 その笑いを無視するように、シルバーは隣のレッドを睨めつける。

「だから図鑑だって、あんたについてくる事になって初めて、ウツギ博士に借りたんだ。……あんたが行き先を選り好みするせいで、全然埋まってねえけどな!」
「…………今度博士たちに謝っておくよ」
「……ぴかぴか」

 苦虫を噛み潰したような顔をしたレッドに、少女は夕闇色の瞳を細めた。

「お知り合いなんですか、博士たちと」
「……一応な」
「ぼくはマサラの出身だから」
「マサラの? それじゃ、もしかしてあなたは……」

「ヒカリー!! コウキ呼んでるー! 早く来いよー!! あんまり遅いと、罰金だかんなー!!」

 少女の――ヒカリの呟きを掻き消すように、威勢の良い、張りのある声が空間に響いた。
 三人が振り返ると、ひとつ向こうの区画の角で、オレンジ色の少年が大きく手を振っている。
 ああいけない、ヒカリは呟き、ふたりに向かって頭を下げた。

「すみません、ではこれで……ちょっと待ってジュン! 今行く!」

 ああ、うん。ばいばい。とかレッドが曖昧に呟く横で、シルバーは脚を組み直して頬杖をついた。
 走り去る少女の後ろ姿をぼんやりと眺めて、その向こうに、遠くの一番星を見る。
 バクフーンは薄目を開け、笑うように、小さく息をついた。

「ヒカリ、おっせーぞ! ……あの人たち誰だよ? 知り合い?」
「ううん。でも……ナナカマド博士のところで、資料を見たわ。帽子の人が……レッドさん、よ。……赤毛の人は、分からないけど」
「レッドさん?! 史上最年少でチャンピオンになったっていう?! うわ、伝説のトレーナーじゃん! あああああ、相手してもらえば良かったー!」
「わたしたちじゃきっと、一瞬で負けちゃう」

 大げさに頭を抱えるジュンに、ヒカリ、はくすくすと、機嫌よく笑った。
 少し前を行く幼馴染が不思議そうに振り返る。

「ヒカリ、楽しそうじゃん」
「分かる?」
「なんかあったのかよ?」
「ううん、とっても綺麗な……バクフーンだったから」

 そう、とても綺麗な、赤い目の。
 ヒカリの言葉に、ジュンはオレンジ色の瞳を見開いて、大きく手を広げた。

「バクフーン? 珍しい!」
「あの、赤毛の人が連れてたの」
「その人の名前とか聞いときゃよかったのに! レッドさんと一緒にいるんだから、きっと強いトレーナーだぜ! バトルできたかもしんない!」

 キラキラと輝く琥珀色の瞳に、ヒカリは小さく吹き出す。この幼馴染は本当に、昔から変わらない。

「……ジュンはホントに、バトルが好きね」
「最近コレ、オヤジからの遺伝なんじゃないかと思うんだよなー」
「え、最近なの? それ以外の何ものでもないんじゃない?」
「ええっ?! やっぱり!?」
「前からジュンは、クロツグおじさんにそっくりよ」
「笑うなよー!」

 なんだってんだよー。
 呟いて頬をふくらませるジュンの隣で、ヒカリは上機嫌に笑い続ける。

「……あの人」
「え?」
「なんでもない。暗くなる前に、帰ろ」
「おう!」

 ジュンが取り出したムクホークの向こうに、キラリと輝く一番星を見つけて、ヒカリは一瞬、目を閉じた。

「……きっと、また、会うわ」