春を告げる

タイムライン:けっこう未来

「さ む い ー !!」

 思わずわたしは小さく叫んだ。
 仕方がないのは分かってる。だって、夕日の沈んだ世界では今、白い妖精がふわふわ踊っているんだもの。

「ありえない!!」

 考えてもみてよ?
 ここはジョウトのエンジュシティであって、シロガネ山でも、シンオウ地方でもない。
 そして今は3月。お雛祭りだって、とっくに過ぎてる。
 普通なら、梅が香り高くエンジュを包み、桜の蕾が膨らみ始めてる頃じゃないの?

「雪ってなによー!!」
 
 思わず空気に八つ当たり。
 雪を被った梅は、たしかに美しいよ。
 なごり雪、といえば風情もある。
 でもねえ。

 わたしはトレンチコートの前をぎゅっとあわせ、空を見上げてため息をついた。
 紺色の空にふんわりと、真っ白な息が登っていくのはチルットみたいで綺麗だけれど、冗談抜きに、寒い。ホント寒い。しかも、積もるなんてナニゴト?

「ねえ、ありえないよ……」

 わたしはもう一度ため息を付いて、腕時計の長針を睨んだ。
 予定の時間を過ぎてから、そろそろ30分になる。

 ……何をしているのか、って?

 それはね、シルバーと待ち合わせをしてる、のです。

 今日は、3月2度目の日曜日。
 昨日の夜、実家でテレビを見ていたら、ポケギアが鳴った。ディスプレイに表示された名前は「Silver」、つまり彼。わたしは驚いて、思わずソファから落っこちた。
 シルバーは電話が嫌いらしく、滅多にポケギアを使わない。だから、彼からの電話なんて、月に何度もないのだ。しかも、数コール鳴らしてもこちらが出ないと、あっさり諦めて切ってしまう。しかも、掛け直したからといって出てくれるとも限らないのだ。
 それっ、切らせてたまるか! と慌てて取ったら、クチバ港からだった。最近見ないなと思ってはいたけど、いつのまにやらホウエン地方に出掛けていたらしい。最終便でカントーに帰ってきたとか土産があるとか言ってたけど、帰ってきてからじゃなくって、行く前に一言欲しいわよね、まったくもう。

 12の時に3年くらい旅に出てから、シルバーにはすっかり旅癖がついてしまっている。気がつくとふらり、カントーやジョウトから姿を消していて、この前なんか、海の向こうからポケギアが鳴った。さすがに仰天して、せめて海外に行く時ぐらいは行く前に教えてよ、と、帰ってきたシルバーに百回くらい念を押してしまったっけ。

 どこかに行く度におみやげを買ってきてくれるけど、おみやげなんていらないから、もうちょっとそばにいて欲しい。そう思うのはワガママなのかな。彼が旅に出ちゃうことには慣れてきたけど、慣れたって淋しいものは淋しいのだ。せめて、「そらをとぶ」で会いに行ける範囲にいて欲しいんだけどなあ。

 そんなわけで、会うのは実に、一ヶ月ぶり。
 だから凄い楽しみにしていて、あんまり着ないワンピースを出してみたり、うっかり二回お風呂に入ったり、ちょっとだけコロンを付けてみたり、髪を巻いてみたり、爪まで塗ってみたり、いろいろしてたのに。気がついたら、待ち合わせ時間から、もう40分が過ぎている。油断すると鼻水が出ちゃいそうなくらい、身体もすっかり冷えちゃったし、腹は立ってくるし、そして空いてくるし……わたしの今日一日のワクワク感を返してくれと訴えたい。

「あーもう! ホントどうしたんだろ……ポケギア繋がらないし」

 何度掛けても「現在電波の届かないところにあるか~」と答えてくるポケギアを、イライラと指で叩く。
 その指先も、寒さでピリピリ痛い。
 どうして手袋をしてこなかったんだろう、ああ、わたしのバカ。

「雪だから、リニアで来るのかな? クロバット飛べないだろうし」
「リニア、遅れてるとか? むしろ止まってるとか……」
「止まってたらさすがに連絡来るわよねえ……」
「まさか事故とか……いやまさか、ねえ?」

 わたしは、自分のカバンに向かって呟いた。カバンの中には、ボールが六つ。わたしを慰めるように、カタカタ動いてる。
 いつものように出してあげても構わないのだけれど、この寒さじゃ、チコさんを表に出す方が可哀相でしょ?(だってチコさんはメガニウムなんだもの)それに、デートの時はポケモンたちをボールに戻す、って、いつのまにやら約束事みたいになっているのだ。子供の頃は、ポケモンたちがいてくれないと会話も何もなかったのに、なんだか不思議ね。

「事故じゃないとしたら……事件に巻き込まれたとか?」
「道端でうっかりバトルになって大怪我したとか……」
「寝坊とかだったら怒るわよ!」
「……風邪引いて寝込んでたりとか、してないよねえ……」
「…………忘れてる、と、か」

 呟けば呟くだけ、胸のうちに暗雲が立ち込める。
 考えすぎだ、杞憂に決まってる。
 だけど、もしほんとに

 どこかで倒れてたり、したら?

 わたしの脳裏に一瞬浮かぶ、冷たくかたく動かない、赤い人影。
 そんなの嫌だ、夢でだって嫌だ。

「コトネ……っ!!」

 瞑い霧が晴れてゆく。

 待ち望んだ声。はじけ飛んだように、心臓が鳴った。
 振り返った視線の先、白い息を上げて全速力で駆けてくる赤い髪に、凍てついていた鼓動が、とくん、とくん、回転を始める。それは加速度的に胸を打って、次第に目眩に変わった。わたしは思わず、自分の心臓の上をぎゅっと抑える。身体がぎゅうっと沸き立つように熱くなって、ああ、突然春が来たみたい。
 ――ああもう。「こんなに待たせるなんて!」って、拗ねてやろうと思ってたのに。頬が熱くて、緩むのを止められない。多分、わたしは今、少女漫画みたいな顔をしてる。これじゃ絶対、拗ねてなんか見えないよ。

 無意識の内につま先が跳ねて、わたしの身体はバネ仕掛け、雪降る路上へまっしぐら。琥珀色の灯りの下で、思いっきり飛びついた。

「シルバー!!」
「悪い、遅くなった」
「もー! 遅いー!! 寒かったー!!」
「悪かった」
「バカ! 遅くなるなら連絡してよ……なにかあったかと思ったじゃない!」

 胸にこみ上げるものがあって、わたしは慌てて下を向く。途端にぎゅっと抱きしめられて、思わずぽろり、一粒落としてしまった。

「ごめん」
「……なにがあったの? 大丈夫だったの? 具合悪かったとかじゃないよね?」
「オレは至って健康だ。ただ、雪でリニアが遅れて……クロバットも飛べなくてな。リニアん中の電波状況も悪くてさ。とにかく、悪かった。どっか入ってりゃよかったのに」

 こんなに冷たくなって、ばかだな。
 そう呟いて、彼はわたしの頬を、両手でそっと包んだ。
 触れた指先のあたたかさより、至近距離でわたしを覗く、炎のように燃える瞳が、わたしの心をつかまえる。
 思わずときめいて口を閉じれば、ばーか、と小さく額を小突かれた。

「いった! バカって何よ!」
「物欲しそうな顔してんじゃねえよ」
「してな……」

 い、と続ける前に、触れた薄いくちびる。
 完全に不意を突かれて呆然としたわたしを見て、彼は喉を鳴らして笑った。

「ちょ、シルバー!!」
「ボケっとしてるお前が悪い」
「だ、だからって……あのねえ!!」
「分かった、悪かった。ほら、行くぞ」
「誠意が足りない!」
「これ以上の誠意はまた後でな」
「……君が意図してると思しきそれは、誠意とは言わない」
「いやか?」
「別にイヤじゃないけどさあ……」

 ならいいだろ、と笑って、シルバーはボールにバクフーンを戻した。
 わたしもカバンの中の相棒達にお休みを言って、ポケギアの電源を切る。

 ちゃんと約束通り。
 これでふたりっきりね。

「取り敢えずご飯ね!」
「ああ、あったかいもん食おうぜ」
「お鍋! お鍋がいいな!」
「了解」

 となりの硬い腕に絡みついて、わたしはにっこり笑ってみせる。
 照れたのかなんなのか、そっぽを向かれちゃったけど、気になんかしてやらない。

 さあて、長い夜はまだまだこれから。
 とりあえず、40分の寒さと心配を、延々語って聞かせてやるんだから!