あいのスパイス

「なるほど」

 と、呟くしか、Nに出来ることはなかった。トウコは目の前で、なんとも言えない気まずい顔をしている。

「……だから言ったでしょ」

 トウコは気まずいを通り越して沈鬱な面差しで、深いため息をついた。人間は難しいなと思いながら、Nは何かしらフォローの言葉を探し……そしてどうにも思いつかず、言葉を濁す。

 眼前にはシンプルな白い器がある。爪で弾くと高く澄んだ音を出す、質の良い磁器だ。中央が少し深めに窪んでいるお陰で使い勝手が良く、スープやパスタを盛るのにもってこいで、しみひとつない白は、どんな食材を乗せても映える。
 ところが、今そこによそわれているメニューは、お世辞にも美味しそうとは言い難かった。中に浮き沈みする具材から見て、調理者はどうやら「豚肉といんげん豆の煮込み」をつくろうとしていたらしい。

 しかし。

「納得したよ」
「……そこは嘘でもなんかフォローして欲しかったわ」

 そこに鎮座する、サイズのまちまちな豚の角切りは何故か、みんな黒焦げだった。豆にいたってはぐずぐずに煮崩れて、ほとんど形状をとどめていない。その上――ひどくしょっぱい、のだ。

 いわゆる、「失敗料理」である。

「素晴らしく味が濃いようだけど」
「……ソルトを、ひっくり返して」

 決定的に不味い、というよりはちょっぴり焦げくさくて、とにかく塩辛い。まるで、海で溺れたかのようだ。
 さすがのNも、ひとさじ口に含んだきり固まって、水の入ったコップと銀のスプーンを握り締めたまま、ふたくちめを躊躇している。

「……まあ胃に入れば全部同じだよね」
「……それはフォローって言わない……」
「全部一般の食材なんだよね? ならおかしな化学反応するとも思えないし食べられるはずだ」
「あ、いや、無茶しなくていいから!! こ、これはもう置いといて何か食べに行こうよ! ね?!」
「でもそういうのを『勿体無い』って言うんだろう?」
「そ……そうだけど」
「じゃあ食べよう。大丈夫。サプリメントのタブレットに比べれば味があるだけいいよ」
「だからそれはフォローって言わないのー!!」

 噛み合っているようで噛み合わない会話に、ついにトウコは悲鳴を上げた。Nはきょとんと瞬きし、わずかに首を傾ける。

「これはね! 失敗作っていうの!! こんなの食べたら体に良くないの!! 塩分の過剰摂取はダメなの!! そのくらい分かるでしょ!!」

 トウコは爆発したように続けた。

「だから言ったじゃない! あたしは料理がものすごく苦手なんだって!! チェレンに禁止令出されるほどなんだって!! ……だから作りたくなかったのよ……」

 トウコにだって分かっている、これは「自棄」で、「八つ当たり」だ。
 トウコは今一度、食卓に上がった白い皿を見た。焦げた豚肉に、どうしようもなく惨めな気持ちになる。まなじりにじわりとあたたかいものがにじんで、鼻先がつんとしびれた。はっと我に返って首を振る。こんなことで泣くのはさすがに情けない。

 それでもぽろり、一粒落ちる。そこに白い指先が伸びてきて、トウコは慌てて顔を上げた。けれど、急な動きも意に介さず、少し冷えた指先はたった一粒を掬い上げる。

「それでも食べるよ」

 ボクが頼んだのに、ごめんね。
 薄い表情で呟いて、Nはスプーンを握り直した。そうして、ほんのりと湯気の上がるスープをゆっくりと掬い上げる。味に反し、シャンパンのような薄い金色の液体は美しく、光を受けて、さらりと光った。
 トウコはあっけに取られて固まり、数秒の後に跳ね上がった。ふたくちめを口にしたNの腕に飛びついて、その手首を両手で掴む。

「ダメだってば!」
「トウコ、手を離して。食べられない」
「だから、ダメだなの! しょっぱい物ばっかり食べると高血圧になって早死しちゃうんだから!!」
「一回くらい平気だよ」
「いやだ! あたしが作った料理のせいでNに早死されたくない!」
「死なないよ」

 若い月のように目を細め、Nは繰り返した。

「死なない」

 時がとまったように、トウコは動かなかった。二の腕に絡みついていたトウコの指を優しく剥がし、Nは三度、スプーンを口に運ぶ。おいしくはないけど、まずくもないよ、と呟いたのは、本人、世辞のつもりだったのだろう。

 トウコは顔をゆがめたまま、すとんとNの向かいに座った。

「あたし」
「ん?」

 うつむいたまま、トウコはぼそり、口を開く。

「料理、練習するから」
「うん?」
「……あたし、そんなに器用じゃないから、いつになるか、分かんないけど」
「うん」
「……成功したら、また、食べてくれる?」

 五度目のスプーンを口にくわえたまま、Nは口の端を上げて見せた。