変わらぬ人

★attention.
アクロマさんとマコモさんがもしかして学生時代の後輩と先輩だったりすればいいのに!
という捏造満載の妄想から生まれたお話です。

 思えば奇妙な縁である、とアクロマは小さな杯を煽ってため息をついた。隣の人はカウンターの向こうの相手と語らいながら実に楽しげに、もう何杯目か分からないグラスを傾けている。基本的に酒に強く、人懐っこいひとなのだ。
 ――昔から、そうだった。アクロマはため息をひとつつき、薄い金色の目を閉じた。

「きみ、一年生?」

 そう声を掛けられて顔をあげると、その人はにこにこと微笑んで立っていた。幼い顔立ちに桜色の頬、眼鏡の奥の潤んだような黒い瞳、長く艶やかな黒髪の美しい、少女のような人である。女子の少ない学科でありながら見覚えのないその姿に、同学年ではないと察してアクロマは首を傾げた。

「そうですが」
「ああ、それじゃあきみが噂の『アクロマくん』ね」

 ぽん、柏手をひとつ打ち、その人は笑みを深めた。口調から察するに先輩であるようだがその容姿は、童顔のアクロマの更に上を行く幼さである。東洋系は幼く見えるというが本当だなと考えながら、アクロマは頷いた。

「確かに僕はアクロマと言います」
「やっぱり! 一年生で研究室に出入りしてる、変わった男の子がいるって教授に聞いたの。どんな子かと思ったら……うん、随分可愛らしい子ね!」
「……はあ」

 しげしげと見つめられ、アクロマはまごついた。自分が女顔な上に童顔である自覚のあるアクロマにとって、可愛いと言われるのは、嬉しいことではない。しかし、『失礼な』と切って捨てようにも、目の前の人は本気で『可愛らしい』と思っている様子である。

「あ、ごめんね、男の子が可愛いって言われても困っちゃうわよね!」

 アクロマの眉根が寄ったのに気づいたのだろう、その人は柳眉を下げて両手を合わせた。
 『可愛らしい』と言われども、自分は男である。それに、どうみても『可愛らしい』タイプなのはこの先輩の方だろう。そう思いつつも、「いえ、別に」とアクロマはそっけなく答えた。

「アクロマくんはここの研究室に入るつもりなの?」
「可能であればそうさせて頂きたいと考えていますが」
「きみは何を研究したくて、ここに来たの?」
「……ポケモンの力は何に因って引き出されるのか、です」
「へえ、面白そうじゃない」

 ふうん、女子生徒は座っていたアクロマの隣に勝手に腰をおろし、目を細めた。気さくな口調につい自分の話をしてしまった、とアクロマは慌てて口を閉ざす。どうも、この人から漂う雰囲気には、調子を乱されてしまう何かがあるようだ。

「アタシは今ね、ここでポケモンの見る『夢』をアタシたちが見られる装置の開発をしてるの!」
「ポケモンの見る夢?」

 興味を惹かれ、つい返してしまった言葉にしまったと思えど後の祭りである。気さくで謎だらけの先輩はぱっと頬を上気させ、幸せそうに喋り始めた。

「そう! あっ、アタシね『トレーナー』について研究してるの。だから元々は、統計のためのシステムとデバイスの開発をしてたんだ」
「統計のためのシステムと夢を可視化する装置が、どう関係があるのですか?」
「そう思うわよね、アタシも自分でちょっと脱線してるかなーっては思ってるんだけど。アタシ、装置とか作ること自体がそもそも好きなのよねー」

 女子生徒は笑い、どこか誇らしげに胸を逸らした。今、アクロマがいるラボの主である教授は、ポケモンの持つエネルギーや能力を、増幅したり利用したりする装置を開発する権威である。彼女は自分の研究テーマに沿ってそういった装置の開発を行なっている、いわゆる『発明家』体質の人間らしい。

「ええと。それでね、デバイスのテストで色々な統計をとった時に、トレーナーさんにポケモンたちの観察データを送ってもらってたの。そのデータの分析中に、ポケモンって夢を見るらしいってことを立証できそうなことに気がついたの!」
「ポケモンが、夢を……」

 瞳をキラキラと輝かせ、心底楽しそうに彼女は頷く。両手を組んで斜め上を見上げた。

「いろんなトレーナーさんと手持ちの子を調べてみて、どうやら夢を見てることは確かだってことになってね。そうなると今度は、それが本当なのか、本当ならどんな夢を見ているのか知りたくなるでしょ? それで、ムシャーナの『夢を投影する能力』を機械で増幅して、アタシたち人間でも見られるようにする装置を作れないかなって思って」
「できるのですか、そんなこと」
「ポケモンの力を機械で増幅するシステムには例があるし、アタシの理論上はできるんだけどね。開発自体はまだまだ序盤かな」
「その理論とは?」
「えっとね……」

 集中すると急激にテンションが上昇する性格のアクロマである。つい話しに食いつき、見ず知らずの先輩の語る装置とその理論にすっかりハマり込んでしまった。
 彼女の論とそれに対する質疑応答は延々続き、はなしが一段落し、ふと気が付いたときには、窓の向こうはとっくに夕暮れだった。

「あぁ! いけない! バーネットを待たせっぱなしでアタシったら!」
「今、何時でしょうか」
「17時よ! 16時待ち合わせだったのに……」

 ふと時計を見上げた彼女の悲鳴に、アクロマは急激に我に返った。
 くるりと首を巡らせれば、自分の真後ろに、黒い針の時計が引っかかっていた。示す時刻は、17時を少し回ったところである。最後の講義のあとにここに着いた時は15時だった。2時間も話し込んだことに自分で驚き、アクロマは席を立った。
 その正面で両頬を抑え、慌てて研究室を飛び出そうとした彼女は、扉を開ける前にくるりとターンした。ふわり、やわらかな素材のスカートと長い髪が広がり、アクロマの視界を波打った。

「きみ、2時間も話を聞いてくれてありがとう! ちょっと詰まってたところで光明が見えたわ!」
「……僕も楽しかったです」
「そう、きみ、いい子ね。ありがとう! あっそうだ、アタシはマコモ。4年生よ。きみがここにくる頃にはきっとマスターね。待ってるわ!」

 扉が開き、夕日がさっと差し込む。眩しさに目を細めたアクロマに満面の笑みで手を振って、マコモは細い足で廊下を駆けていった。
 あとに取り残されたアクロマは、呆然とその背を見送る。
 随分と子供扱いをされたし、年上だろうとは思っていたが、まさかの。

「……4年生……3つ上?!」

 いくらなんでも、そうは見えない。
 理由のしれない妙な焦燥に、胸がちりちりと揺れる。アクロマは天井を仰いで、ため息をついた。

「……クロマくん、アクロマくん!」

 隣の声にハッとして顔をあげる。思いの外近くに彼女の――マコモの顔があり、アクロマは仰け反って目を瞬かせた。

「お疲れ? もうお開きにしましょうか?」
「いえ、少し考え事を。眠っていたわけではありません」
「そう? じゃあもういっぱい飲んでいい?」
「どうぞお好きに」

 やった、と歌うような声が鳴り、アクロマは小さく息をついた。この人はあまりにも変わらない。少女めいた容姿も、人懐こさも、眼鏡の奥の微笑みも――子供扱い、する癖も。
 あの時は、この先これほど付き合いが長くなるとは予想だにしなかった。あんなにも振り回されるなどとは、夢にも思わなかった……。
 遠い学生時代に思いを馳せ、アクロマは頭を振って手の内の杯を、ことりと置いた。
 そうして昔どおりに呟くのだ。

「貴女が強いのは知っていますが、度を越さないようにしてくださいよ――先輩」

 うん、ひどく嬉しげに彼女が微笑むのに、アクロマは今一度、深い溜息をついた。