玻璃の戀

Attention!
パラレルです。大正時代っぽいファンタジーな舞台設定で、義理の兄妹なえぬさまととうこさんのおはなし。

 彼女はひとり、学び舎の門の前に立ち、ゆるやかな風を受けて眩しげに目を細めていた。

 白磁の肌に、朱の口唇。桜を染め抜いた着物に包まれた、しゃんと伸びた背に流れるのは、高く結い上げられた栗色の髪。深く沈む漆の黒より、ほんの少し明るく暖かな色をしたそれは、柔らかな陽光を受けて絹よりも輝く。瞳は空を凍らせたような美しい青い宝玉で、それを縁取るまつ毛は長く、瞳を飾っている。

 美しい少女だった。ほっそりとした腕がしなやかに動き、指先で髪を払う。ただそれだけの仕草でさえ、道行く者が振り返り、少女のバラ色の頬に息を飲む。その気配にも構わず、少女は一心に、道の先を見つめていた。

「トウコちゃん」

 鈴がふるえるような声がして、少女は身体をひるがえす。振袖が風に舞って、染め抜かれた桜が、まるで現物のように風に踊った。

「ベル」
「また、遅れてるの?」
「そうみたい」

 トウコ、に声を掛けてきたベルは金の髪を揺らし、橄欖石の瞳を見開いて、あらら、と呟いた。柑子色の菊が縫い取られた、美しい振袖を纏っている。

 ここは、女学院の門の前。トウコもベルも、そこで学ぶ女学生である。まだ歴史は浅いのだが、良家の女子ばかりが学ぶいわゆる「お嬢様学校」で、二人もその例にもれず、名家に育った娘だった。

「学生さんなのよね? 講義が長引いているのかしら?」
「兄様の事だから……論を打ち始めてすっかり忘れていらっしゃるのかも」

 トウコは苦笑し、ベルに向き直る。ベルはそんなまさか、と明るく笑った。

「トウコちゃんのお兄様、ええと、え……ぬさま、だったかしら? トウコちゃんのこと『溺愛』してらっしゃるもの! 忘れるなんて、まさかだわ」
「溺愛だなんて」

 トウコは笑うが、ベルは真面目な顔で腕を組む。袖口から除いた白い柔らかな腕が愛らしい。力いっぱいふくらませた頬は赤く色づいている。

「あたしだって送り迎えはされてるけれど、御者と従者が来るだけだわ。同窓の皆も、そうじゃない? お兄様、しかも嫡男が自ら、毎日いらっしゃるなんて、トウコちゃんだけよ。溺愛以外の何ものでもないじゃない!」
「そうかなあ」
「そう! それに、トウコちゃんのおうちはすごく格式が高いでしょう? だから余計に、ないことだと思うの」
「うーん、昔からの習慣だから、よく分からないけれど」
「……昔から続いてる、ってことが、一番の証明じゃないかなあ」

 どうかしら、トウコははにかんだように頬を染めた。道端の男の視線が集中するのにも、彼女は気がつかない。ベルはわずかにため息を付いて、まわりを小さく睨んでみせた。

「まあ、トウコちゃんは確かにものすごく可愛いから、お兄様のお気持ちも分かるけど。それに、トウコちゃんもお兄様、大好きだものね」
「私はベルの方が可愛いと思うけどな」
「トウコちゃん、謙遜し過ぎは嫌味だよ!」
「謙遜なんかしてないけど」
「もー……。……まあいいや。そういえばね、」

 ガラガラガラガラガラン!!

 こんな話をしていても埒があかない。そう判断したベルが話を変えようとしたその時、尋常ならざる車輪の音が往来に響いた。道行く人々が顔を上げ、トウコとベルも言葉を切って、音のする方に目を向けた。

 土煙を上げ、道端の石を弾きながら、凄まじい勢いで馬車がこちらに向かってくる。うっかり飛び出そう物ならそのまま車輪に跳ね飛ばされて、儚くなってしまうだろう。
 それは深い塗りの二頭立ての馬車。その扉に刻まれた紋は、間違いなく。

「トウコ! すまない遅くなった!」

 馬が止まるのと時を同じくして開かれた扉からは、いっそ無作法なほど軽やかに、青年が飛び降りてきた。
 嫌味なほどに長い手足、黒いインバネスをまとったすらりと高い背の上にある、その髪は萌木の柔らかな緑。
 持ち上げられた白い面に二つまたたくのは、銀の月にも似た、濁りのない、瞳。

「N兄さま!」

 満面の笑みで臆面もなく、その青年に飛びついたトウコと、それを当然のこととして受け止めた青年に、ベルはやれやれとため息をついた。

「……これを溺愛って言わなかったら何を溺愛って言うのか、あたしにはわかんないなあ」